横山春光の中国武術留学記

旅立ちの日

横山春光の中国武術留学記「旅立ちの日」

忘れもしない2004年9月20日午後3時、成田空港から北京空港へ向かう飛行機は、予定より1時間遅れで飛び立ちました。

私は極度の高所恐怖症で、飛行機も大の苦手だったのですが、飛行機が離陸したとき、私は2年ぶりに自由の身になった嬉しさで身体が打ち震えました。

飛行機の高度が上昇するのに比例して、自失感が増していくと共に、懐かしい自分が戻ってくるような感覚がありました。

18歳で実家の宮崎県からカバン一つで上京、当時志していたロックバンド活動の夢だけを抱え、無限の可能性を湛えているかのような東京の街へ飛び込んだあの日から10年…、理想と現実、挫折と逃避、妥協と葛藤、絶望と希望、夢を描いて上京したあの頃から経験したたくさんの出来事。

走馬灯のように過去の記憶が蘇る中、宙ぶらりんな状態のまま、私は飛行機に乗って北京に向かっていました。

私の準備品は、とても少ないものでした。

      1. 出発前の1か月間で必死に頭に詰め込んだ中国語
      2. 携帯用の日中辞書
      3. 首から提げた黄色いミニノート

    (ありったけの必要そうな中国語と、日本大使館の連絡先等、思いつく限りの情報を記入していました)

あとは着替えやら、修行道場を出る時に持たされた中国の先生方へのお土産やら、学費と最低限の生活費です。

ビザは旅行用の3か月滞在ビザでした。留学先の『北京・志強武館』(陳式心意混元太極拳の創始者である馮志強老師が創設した太極拳武館)には、「短期・派遣学習生」という立場でお世話になることになっていました。

派遣社員として働いていた経験があったので、3か月の間に成果を出さないと切られてしまう、という過去のプレッシャーがフラッシュバックしました。

「今回、出さなければならない成果とは何だろう?」

飛行機の中で少し冷静になった私は、集中して考えました。

もともと学びたいと切望していた太極拳を学ぶこと、自分の思考を取り戻すこと。

そうすれば、きっと出口が見つかるはずだ。

私はそう心を決めると、まな板の上の鯉のような気分で、機内での3時間を過ごしました。横山春光の中国武術留学記「ミニノート」

-後日談-
このときに準備した黄色いミニノートは、中国語が話せるようになるまで肌身離さず持っていたので、後にこんなにボロボロになりました。

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